レフカダ・ヘブンのモデルは小泉八雲で実在で史実とは?

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NHK朝ドラ「ばけばけ」で高石あかりさんが演じるヒロインの松野トキの夫で、トミー・バストウさんが演じるレフカダ・ヘブン(れふかだ・へぶん)のモデルは実在の小泉八雲(こいずみやくも)さんです!

今回はレフカダ・ヘブンのモデルで日本の文化と魅力を海外に最初に発信したとされる小泉八雲(こいずみやくも)さんの史実についてご紹介します。

目次

レフカダ・ヘブンのモデルは小泉八雲!生い立ちから来日までの史実とは?

朝ドラ「ばけばけ」ヒロインの夫レフカダ・ヘブンのモデルは小泉八雲

2025年秋スタートの第113作目となるNHK連続テレビ小説「ばけばけ」は、小泉セツさんと小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)さんご夫妻がモデルの物語。

脚本は『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』で橋田賞を受賞したふじきみつ彦さんが担当。

実話や元ネタについては、以下の記事でご紹介しています。

朝ドラ「ばけばけ」は実話?元ネタやモデルについても

耳なし芳一といった「怪談」などの作品で知られる小泉八雲さんと、妻のセツさんを描いた作品です。

ヒロインで小泉セツさんをモデルにした、主人公でヒロインの松野トキ役を演じるのは高石あかりさん。

小泉セツさんの夫、小泉八雲さんをモデルにしたレフカダ・ヘブン役をトミー・バストウさんが演じます。

ヒロインの松野トキが生まれ育った、島根県松江からドラマはスタート。

島根の城下町文化や、教師や講師として生きた小泉八雲さんの歴史的背景も織り交ぜ、熊本など全国を舞台にした人間ドラマが描かれます。

以降でレフカダ・ヘブンのモデル、小泉八雲さんの史実や、セツさんとの結婚、作品などについてご紹介していきます。

ヒロインのモデル、小泉セツさんの史実については以下でご紹介しています。

松野トキのモデルは小泉セツ!小泉八雲の妻で史実とは?

恵まれなかった少年時代

小泉八雲さんは1850年、イギリス軍医の父親とギリシャ人の母親のもと、レフカダ島で生まれました。

兄がいましたが、小泉八雲さんが生まれてすぐに亡くなっています。

役名のレフカダ・ヘブンは、この島の名前から付けられたんですね。

小泉八雲さんが2歳のころ、父親の転任により父親の実家、アイルランドのダブリンに一家は移り住みます。

母親はアイルランドでの生活になじめず、小泉八雲さんが4歳のときに母親が故郷に帰ってしまいました。

母親のお腹には、小泉八雲さんの弟がいたそうです。弟はのちにアメリカで農業をされています。

これが母親との永遠の別れになります。母親は子供とは2度と会わない、という誓約書にサインをさせられたのです。

小泉八雲さんが6歳のときに両親は離婚し、それぞれ新しいパートナーと生活を始めました。

小泉八雲さんは父の母方の叔母で、子どもがいなく資産家だった大叔母に引き取られました。

夜になると子ども部屋に入れられ、鍵をかけられてしまい、耐えられないほどの恐怖を感じます。

ジェーンという女性の幽霊を見たことも。

イギリスの全寮制、アショー・カレッジに入学。厳格なカトリック教育を受け、カトリック教を嫌いになり、孤独にさいなまれていきます。

目に見えないものを感じたり、暗闇に何かが潜んでいる気配などを感じるようになりました。

このような体験が、のちの「怪談」への原点となります。

失明などさらに悲劇が襲う

小泉八雲さんが16歳のとき、ロープを使った遊びをしているとき、ロープの結び目が左目にぶつかり失明してしまいます。

小泉八雲さんは多くの写真を残していますが、多くは右側から撮ったものが多く、左顔の様子はわからないものが多いといいます。

少年にとって失明したということことは、とても深く傷つき、その後の人生にも大きな影響を与えたのでしょう。

この年に父親がマラリアにかかり帰国中、船中で亡くなりました。

さらに小泉八雲さんを悲劇が襲います。

17歳のときに大叔母が破産したのです。

突然放り出された小泉八雲さん。学校を退学しロンドンへ向かいましたが、ここでも惨めな生活を送ったといいます。

さすらいの旅へ

19歳のとき、遠い縁を頼りに移民船でアメリカに渡った小泉八雲さん。

オハイオ州シンシナティで暮らし始めましたが、邪魔者扱いされてしまいます。

ホームレスとなり、日雇いなどで何とか食いしのいでいました。

そんな小泉八雲さんに救いの手を差し伸べたのが、ベテラン印刷工の男性です。

彼の仕事を手伝いながら、図書館で本を読み執筆も始めました。

新聞記者の社員になり、事件記者として活躍。文才が認められ、名声を高めていきます。

フランス文学の翻訳などもされていたそうです。

最初の結婚?

小泉八雲さんは下宿先で、面倒をみてくれていた女性、通称マティさんと恋に落ちました。

ですがマティさんは白人と黒人の混血で、当時の州法では白人と有色人種の婚姻は認められておらず、結婚に至らなかったようです。

結婚した、という記載もあるので、正確なところはわかりませんが、婚姻しようとした女性がいたのは事実だと思います。

マティさんと一緒にいたのは2~3年で、ふたりは別れ、小泉八雲さんはニューオリンズに移りました。

小泉八雲さんはこのころ27歳。貧しい生活をされていたそうですが、友人や知人に支えられながら、タイムズ・デモクラット社の文芸部長に迎えられました。

このころに母親が精神病院で亡くなりますが、小泉八雲さんはこのことを生涯知ることはなかったそうです。

初の著書出版

1884年に初の著書「異邦文学残業」を出版。

1887年からマルティニーク島で、取材をしたり民話を集めながら、2年間過ごしました。

そんなとき、ある出版社の記者との会話の中で、日本への興味が募ります。

ニューオリンズ時代、万博で日本の文化と出会い、英訳「古事記」などを読み興味を持っていました。

その出版社の取材記者として、小泉八雲さんは日本に行く決意をしました。

小泉八雲の妻は小泉セツ!出会いと結婚の史実とは?

40歳で来日

1890年、小泉八雲さんは40歳のときに来日。

このときセツさんは22歳で、最初の夫と離婚し、実の両親と養父母たちの面倒を見なければならない、窮地に追い込まれていました。

小泉八雲さんは一緒に来日した挿絵画家より、原稿料が安いことに立腹。

島根県尋常中学校と、師範学校の教師として、松江に赴任する話を受け、記者をやめています。

松江がすっかり気に入った小泉八雲さん。地元の人たちからも「ヘルン先生」と親しまれました。

本名の「Hearn」がヘルンと読めるため、そう呼ばれています。

セツとの出会い

小泉八雲さんが来日した翌年の1981年、厳しい寒さにより病気で寝込んでしまった小泉八雲さん。

看病と身の回りのお世話をする人が必要になり、セツさんが紹介されました。

当時、独身の外国人男性と一緒に暮らすことは、とても勇気のあることだったでしょう。

セツさんも家族を養うため、この仕事を引き受けたのだと思います。

おふたりは18歳も年が離れていて、最初はお互いに恋愛感情はなかったようです。

ですが一緒に過ごすうち、よく働き話も上手で勇気もあるセツさんに、小泉八雲さんは惹かれていきます。

セツさんも、雇い主として威張ることなく、弱者に優しい小泉八雲さんの人柄に魅了されていきました。

結婚

小泉八雲さんが来日した翌年の1981年におふたりは結婚しますが、正式な婚姻はしていません。

当時は外国人との結婚の手続きが、とても難しかったのです。

ずっと孤独に生きてきた小泉八雲さんは、セツさんの家族も受け入れ、家庭の温かさを知ります。

扶養家族が増えたので、悩んだ末に小泉八雲さんは、慣れ親しんだ松江を離れ、高給を約束された熊本の中学校に転勤することにしました。

1893年に長男の一雄さんが誕生。翌年に神戸クロニクル社の記者となり神戸へ。

1896年に正式に入籍され、小泉八雲さんは日本に帰化。小泉八雲という日本名になりました。

この名前はセツさんの養祖父が命名。『古事記』にある和歌、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」からとって「八雲」としたのです。

小泉八雲さんは泳ぎが得意で、筋トレも日課にされていたとか。

日本の文化を愛し、小さな生き物を愛でていました。

この年に小泉八雲さんは帝国大学文学科大学に講師として迎えられます。

仲睦まじい夫婦

お二人はとても仲のいいご夫婦だったといいます。1897年に次男の巌さん、1899年に三男の清さん、そして1903年に長女の寿々子さんが誕生。

お互いに「パパさん」「ママさん」と呼び合っていました。

日本語がうまく話せない小泉八雲さんと、英語をマスターできなかったセツさん。

おふたりの共通語は、小泉八雲さんが話すたどたどしい日本語でした。

おふたりはそれを「ヘルンさん言葉」と呼び、小泉八雲さんが話すヘルンさん言葉を正確に訳せたのはセツさんだけ。

子どもたちでも理解できず、ほかの人と話すときには、セツさんが訳すこともありました。

小泉八雲さんは時々セツさんに英語を教えましたが、セツさんはそれを丁寧にカタカナで書き取り、練習されたとか。

ヘルンさん言葉は、二人をつなぐ愛の言葉でもありました。

小泉八雲の死因とは?作品はセツとの共同作業!

死因

小泉八雲さんは1903年、学生の留任運動もありましたが、帝国大学を辞職しています。後任は夏目漱石さんでした。

その後早稲田大学の講師となりましたが、1904年9月に狭心症により心臓発作で倒れます。

その1週間後に自宅で再び発作が襲いました。

ママさん、先日の病気また帰りました

そう言うと、間もなく苦しみもせずに亡くなります。54歳でした。

亡くなる数日前にも、こんなことをセツさんに行ったそうです。

多分私、死にましょう。泣く、決していけません

最期の瞬間まで、残された家族を心配し愛していました。

セツが語った作品

小泉八雲さんの作品の多くは、セツさんが語ったものから作られました。

セツさんが日本語で語った物語を、小泉八雲さんが独自の解釈も含めて英語で書かれています。

「怪談」の多くも、外国人には理解が難しいはずですが、小泉八雲さんの幼少期の恐怖体験が生かされていたのだと思います。

小泉八雲さんはセツさんが本を読んで語ろうとすると、それを止めさせました。

本を見る、いけません。あなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません

このようにセツさんは、小泉八雲さんの作品に、なくてはならない存在だったのです。

遺言

小泉八雲さんは、自分が先立った後のことを、とても心配されていたといいます。

実際にセツさんは、八雲さんが亡くなった後30年を過ごしています。

小泉八雲さんが亡くなったとき、セツさんはまだ36歳で4人の子どもがいました。

小泉八雲さんは自分の財産をすべてセツさんに譲る、という遺言を遺します。

さらに小泉八雲さんの友人だった、のちに横浜グランドホテル社長になるミッチェル・マクドナルドさんも、著書の印税や版権など、小泉家に入るよう尽力されたといいます。

おかげで小泉家は裕福に過ごすことができました。

小泉八雲さんの書斎は亡くなったあとも、永くそのまま残され、セツさんは八雲さんの思い出と、4人の子どもに支えられ、穏やかな人生を過ごされたようです。

レフカダ・ヘブン役のキャスト俳優はトミー・バストウ!1767人のオーディションで抜擢

トミー・バストウは1767人のオーディションで抜擢

NHK連続テレビ小説「ばけばけ」ヒロインの夫、レフカダ・ヘブン役は、1767人のオーディション応募者の中から決まりました。

外国人役ということで海外にも募集し、国内は246人、海外からは1521人(アメリカ1352人、イギリス149人、オーストラリア・ニュージーランド20人)が応募。

朝ドラ「マッサン」のときには国内 232人、海外 289人=521人 だったので、かなりの倍率でした。

リモート動画選考・面談を経て、最終審査のカメラテストは日本で実施し、10月に決定しています。

制作統括 橋爪國臣さんはこのように大絶賛されています。

トミーさんは私たちが探し続けていたヘブンさんそのもの、いや、想像を超えてヘブンさんです。オーディションの現場にいたみんなが彼に惚れていました。偏屈さとチャーミングさを併せ持つヘブンさんを見事に作り出してくれていました。

トミーさんのコメント

髙石さんとお会いした最初の印象は「明るくていっしょにお仕事をすると楽しいだろうな」と思いました。
日本語は日本の文化や映画にひかれて約10年学びました。わからないことも多いですが撮影を通してもっと日本のことがわかるようになりたいです。
モデルの小泉八雲を演じることは大きなチャレンジ。日本や冒険が好きだったり繊細だったりするところはハーンと似ていますが、全然違うところもあります。自分の人生や経験と合わせてハーンのエッセンスをヘブンとして、うそ偽りなく演技で伝えたいと思います。精一杯頑張ります。

引用元 公式サイト

トミー・バストウとは?

1991年8月26日生まれ、イギリス出身。
2007年にロックバンド FranKo(フランコ) を結成し、リードボーカルとして現在も活動を続けている。

翌2008年には映画『ジョージアの日記/ゆーうつでキラキラな毎日』でメジャー作品に初出演し、イギリスで俳優としてのキャリアをスタート。2018年からは拠点をアメリカにも広げ、活動の幅を国際的に広げてきた。

主な出演作には、ソニー・ピクチャーズ製作・ケリー・マディソン監督の映画『ネバー・バックダウン/自由への反乱』(2021)、BBCドラマ『Man in an Orange Shirt』(2017)、ABCのSFドラマ『The Crossing/未来からの漂流者』(2018)、さらに日独合作ドラマ『ザ・ウィンドウ』(2022/ZDF・フジテレビ)などがある。

そして2024年、エミー賞を受賞した大作ドラマ『SHOGUN 将軍』において、物語の要となる マルティン・アルヴィト司祭 を演じ、大きな注目を集めた。

また、およそ10年間にわたり独学で日本語を学び続けており、流暢な日本語を操る点でも知られている。

引用元 公式サイト

まとめ

新・NHK朝ドラ「ばけばけ」が2025年9月29日から始まります!

「怪談」などの著書で知られる小泉八雲さんと、妻のセツさんをモデルにした物語。

小泉八雲さんをモデルにした、レフカダ・ヘブン役を トミー・バストウさんが演じます。

小泉八雲さんは1850年に生まれ、幼いうちに両親が離婚し、大叔母のもとに引き取られ厳しく育てられました。

大叔母の破産とともに孤独の身となり、アメリカへ渡りますが、貧しい生活を強いられます。

周りの人々に助けられ、ジャーナリストとして活躍し、40歳のときに日本へやってきました。

日本でセツさんと出会い結婚され、4人の子どもに恵まれました。

とても仲睦まじいご夫婦で、心臓発作により54歳で亡くなるまで、お二人でいろいろな作品を作り上げます。

そんなお二人の人生を描いた「ばけばけ」。最後までお楽しみください。

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