ベトナムのひびき佐倉一男のモデルは実在の指揮者・本名徹次と福村芳一!

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2025年に再放送されているNHK総合で放送の日越外交関係樹立50周年記念ドラマ「ベトナムのひびき(べとなむのひびき)」で濱田岳さん演じる主人公・佐倉一男のモデルは実在の指揮者・本名徹次さんと福村芳一だと思われます

今回はドラマ「ベトナムのひびき」の佐倉一男のモデルについて詳しくご紹介していきます。

目次

 「ベトナムのひびき」佐倉一男のモデルは実在の指揮者の福村芳一!

ドラマ「ベトナムのひびき」とは?

ドラマ「ベトナムのひびき」は、日本とベトナムの外交関係樹立50年を記念して2024年に制作された特集ドラマです。

日本人指揮者の佐倉一男は、ある日、ベトナムの国立オーケストラの再建という大役を任され、単身ハノイへと向かいます。通訳の森岡優子の助けを得て、個性も価値観も異なるベトナム人楽団員たちとともに、最初はすれ違いながらも、音楽を通じて少しずつ心を通わせていきます。

異国の地で彼が直面するのは、文化の違いという大きな壁だけではありません。日本に残る妻・美也子や、成長していく息子・博音との関係、さらには若き後輩指揮者・光嶋との立場や信念のぶつかり合いも、彼の心を揺さぶっていきます。

数々の葛藤を乗り越える中で、佐倉はただ楽団を導くだけでなく、自らの人生にとって本当に大切なものと向き合っていくことになります。ハノイの音楽と人々が、彼の中に眠っていた“ひびき”を呼び覚ます、感動の物語です。

数々の名曲が登場するのも見どころの一つですね!劇中に登場する楽曲については、以下の記事でご紹介しています。

ベトナムのひびきに登場する【曲】一覧!チャイコフスキー交響曲第5番など

有名ピアニストの反田恭平さんが俳優として登場していることも話題のドラマです!以下の記事では反田恭平さんの役柄などご紹介しています。

ベトナムのひびき反田恭平はピアノと指揮の二刀流の嫌な奴?

以下の記事ではドラマの最終回までのストーリーをご紹介しています。

ベトナムのひびきネタバレあらすじ最終回結末まで!20年後のハッピーエンド

モデルは実在の指揮者・福村芳一

そんなドラマ「ベトナムのひびき」で濱田岳さん演じる主人公の佐倉一男(さくらかずお)のモデルは2人いると思われます。

その理由は後程詳しくご紹介していきます。

1人目のモデルは実在の指揮者の福村芳一さんだと思います。

ドラマのエンドクレジットで資料提供のところに福村芳一さんのお名前がありました。

福村芳一とは?

1946年生まれで東京都出身の福村芳一さんは、桐朋学園高校音楽科卒業後、京都市交響楽団で指揮者として活動をスタート。

名古屋フィルハーモニー交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団などの指揮者を歴任しました。

指揮者として中南米やアジアで活動をされて、特にベトナムでは、1990年以降にベトナム政府に要請されたことから国立交響楽団の再建と育成を行っていました。

ベトナムでの活動の傍ら、キューバ国立交響楽団およびチリ国立交響楽団の首席客演指揮者を兼任するなど勢力的に活動されていました。

1995年にはキューバ政府、そして1998年にはベトナム政府から、それぞれの国立交響楽団の長年にわたる育成、貢献により“文化功労勲章”を授与されました!

これらのベトナムでの活動が今回の「ベトナムのひびき」のエピソードになったと思われます。

以降では、更に詳しく福村芳一さんのベトナムでの活動についてご紹介していきます。

福村芳一のドラマのエピソードは?

ドラマのスタート、そして主人公がベトナムにやってきたのは1992年です。

福村芳一さんも1990年代にベトナムの国立交響楽団(通称VNSO)の再建をされていたので、年代的にも合致しています。

そして当時の模様がドキュメンタリーとして放送されていたんです。

その内容から、ドラマに反映された実話エピソードが見えてきます。

エアコンのない狭く暑い室内での練習

ドラマでも暑いベトナムでエアコンもなく汗をかきながらオーケストラを指導していた佐倉一男。

ドキュメンタリーでも同じような厳しい環境で指導をしていた模様が放送されていました。

まさにドキュメンタリーで演奏していた場所を再現したようなドラマのベトナムのオーケストラの練習場でした。

この映像はかなり意識して制作されていたのでは?と思います。

チャイコフスキー5番

ドラマでも佐倉一男がチャイコフスキー5番を引っさげてベトナムの全国ツアーに行く展開でした。

福村芳一さんのドキュメンタリーでも「チャイ5」こと「チャイコフスキー5番」を引っ提げて電車に乗って演奏会でベトナムを横断していました。

その移動シーンなどもまさにドキュメンタリーと同じようでした。

ベトナム人の団員たちに怒りをぶつける厳しい指導

ドラマでも佐倉一男の厳しい指導でベトナム人団員だちが困惑する姿が描かれました。

一方、福村芳一さんもあまりにもレベルの低い演奏に怒りをぶつけているシーンが。

もちろん、団員たちのために熱い指導を行っていました。

立て直しでキューバに

福村芳一さんは、ベトナムの立て直しと並行してキューバ国立交響楽団での立て直しも行いました。

ドラマではベトナムの横断ツアー終了後に、キューバに行くことから、ベトナムの楽団員にお別れをするシーンが。

このキューバも福村芳一さんの活動とリンクします。そして佐倉一男も福村芳一さんと同じように、以降、中南米やアジアで活動する姿が描かれました。

以下の記事ではこちらでは紹介しきれていない更なる実話エピソードをご紹介しています。

【ベトナムのひびき】実話エピソード!遅刻や団員たちとの喧嘩など

佐倉一男のモデルのもう一人は本名徹次!

佐倉一男のモデルのもう一人は本名徹次!

そして主人公の佐倉一男のもう一人のモデルは本名徹次さんだと思われます。その理由は以降で詳しくご紹介していきます。

本名徹次さんは、2001年から2009年までの8年間にわたり、ベトナム国立交響楽団(VNSO)の音楽顧問として活動されました。現地のオーケストラに寄り添いながら、音楽的基盤の強化と楽団員の育成に尽力されます。

その後、2009年に音楽監督兼首席指揮者へと就任。ただ指揮台に立つだけではなく、組織全体の質を底上げするため、リハーサル環境の改善や演奏水準の向上など、あらゆる面で献身的な取り組みを続けてこられました。

こうした長年にわたる貢献が評価され、2019年には「渡邉暁雄音楽基金特別賞」を受賞。ベトナムと日本の文化交流を音楽の力で支えてきたその功績が、正式に認められる形となりました。

2人の関係性などは不明なのですが、福村芳一さんを引き継いだような形で2000年代からベトナムに渡ってベトナム国立交響楽団(VNSO)の指導に尽力された方です。

本名徹次とは?

本名徹次さんは1957年、福島県郡山市に生まれました。現在68歳で、長年にわたり国際的に活躍している日本人指揮者です。

実家は郡山の老舗和菓子店「柏屋」。。

音楽の道を志し、東京芸術大学音楽学部器楽科に進学

トロンボーンを専攻しますが、在学中に指揮者への転身を決意し、大学を中退。その後、山田一雄氏井上道義氏という日本を代表する名指揮者のもとで研鑽を積みます。

1985年には、東京国際音楽コンクールで見事優勝。その実力が国内外に認められ、指揮者としてのキャリアが大きく動き出します。

活動拠点をヨーロッパに移し、ウィーンを中心に音楽活動を展開。1990年には、イタリアで開催された名門アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールにおいて、第2位に輝きます。

1995年には芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。この年から2001年まで大阪シンフォニカー交響楽団の常任指揮者を務め、楽団のレベルアップに大きく貢献しました。

また、1998年からは名古屋フィルハーモニー交響楽団の客演常任指揮者としても活躍。東海地方を中心に、多くの公演を成功させ、地域のクラシック文化発展にも寄与しました。

そして2001年からは、舞台をベトナムに移し、国立交響楽団(VNSO)の音楽顧問として新たな挑戦をスタートさせます。これは、音楽家としてだけでなく、国境を超えて文化をつなぐ存在としての歩みの始まりでもありました。

以降では、ドラマのモデルだと思われる本名徹次さんの実話エピソードについてご紹介していきます。

本名徹次の実話エピソードとは?「助けてください」と言われて

「助けてください」!と言われて

本名徹次さんがベトナム国立交響楽団(VNSO)と出会ったのは、2000年のハノイ公演でした。

彼が指揮を務めたのは名古屋フィルハーモニー交響楽団のコンサートで、その音楽が、予想を超える形で未来を動かすきっかけとなります。

演奏会が終わった直後、1人の男性が楽屋を訪ねてきます。彼の名はクアン。VNSOの首席チェリストを務めていた人物です。彼は、まっすぐな目でこう告げました。

「我々を助けてくれ!」

その言葉に込められていたのは、国際的な支援の要請ではなく、音楽の魂を救ってほしいという切実な願いでした。

この「助けてください!」と言われるシーンはドラマでも、バイオリン奏者で楽団のコンサートマスターのホアンが言っていたシーンです。

ホアンのモデルは、実在のクアンであることがわかりますね。

クアンさんは、本名さんの指揮、演奏を見て「この人こそが自分たちに必要な音楽家だ」と確信したそうです。音楽への姿勢、音の方向性、求める理想。そのすべてがVNSOの未来像とぴたりと重なっていたと思ったそうです。

名声よりもやりたいこと

当時のVNSOは、約60名の団員を擁するベトナム最高峰のオーケストラでしたが、また国際的な知名度はほとんどなく、運営体制や演奏レベルにも多くの課題を抱えていたそうです。

本名さんにとって、VNSOの指揮を引き受けることは、キャリア上の大きなステップアップにはなりません。むしろ、厳しい環境に身を置くリスクの方が大きかったのです。

ところが――彼は、まだ1度もVNSOを実際に指揮していないにもかかわらず、提示された契約書に自ら署名します。

その契約内容は、以下のような極めて大胆なものでした。

契約期間 目標内容
最初の5年間(2001〜2006年) アジア有数のオーケストラへ成長させる
次の5年間(2006〜2011年) 世界レベルの楽団を目指す

本名さんは、この無謀とも言える挑戦に、なぜ身を投じたのでしょうか。

本人は後にこう語っています。

「何か、自分にしかできない音楽活動をやってみたかった。
VNSOを育てるという仕事は、ものすごくやりがいがあるように見えたんです」

ただの指揮者としてではなく、“音楽で人や文化を変えていく仕事”を人生の一部にするという決意が、彼の心を動かしたそうです。

ドラマでも名声やお金などの目的でなく、ベトナムとの契約をした佐倉一男が描かれていました。

練習に遅刻、指揮者を見ないで演奏などリアルなベトナム楽団員たち

2001年2月。本名徹次さんが、いよいよベトナム国立交響楽団(VNSO)の指揮台に立った初日。その場で彼が感じたのは、期待とはほど遠い衝撃的な現実でした。

プログラムには、誰もが知る人気曲を並べていました。しかし、オーケストラから響いてきたのは、まとまりを欠いた演奏。団員たちは指揮棒を見ることすらなく、アンサンブルの意識も希薄だったといいます。

さらに、本名さんを驚かせたのは団員の時間意識の低さです。練習開始の時間になっても楽団員が揃わず、準備不足のままリハーサルに参加する姿も少なくなかったのです。

当然ながら、本名さんは怒りを隠せませんでした。何度も練習場を後にするという場面が繰り返され、厳しい姿勢を貫くその様子は、楽団全体に緊張感をもたらします。

・まとまっていない演奏

・遅刻をしてしまう団員たち

・本名さんは何度も怒り、練習場所出てしまった

これらのエピソードもドラマで描かれていました。

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